2010年08月25日

到る所で「わやくそ」

「副市長人事を不承認=市議会が反対多数で―鹿児島県阿久
地方自治法は副市長人事について「議会の同意を得て選任する」としているが同意は得ていなかった。
にもかかわらず、竹原市長は「最終的な判断は裁判所が出すが、わたしは合法と思っている」と述べたという。

いい歳をした、大の大人がすることか。子どものママゴト遊びじゃあるまいし。あまりにも幼稚な政治家だなあ。

今日の赤旗に載っていたが、口蹄疫で揺れる宮崎では「補償金はまだ概算払いしかされていない。補償金に税金が掛かるなんて、話が違う」とか。牛、豚が全頭処分された川南町の内野宮正英町長の言葉にある、「市町村ががんばっているのに、国がきちんと方針を決断できていない」には、唖然とする。

民主党って、いったい全体、なんなんだ???? どうなってるんだ????  これじゃあ、かつての自民党政権のほうが、まだましだったって、国民が思っても、無理ないよなあ。。。  しかも、これが、日本共産党の紙智子参議院議員が現地に入って聞き取り調査して、はじめて分かったっていうんだから、民主党のあまりの無策ぶりに、もう、口を大きくアングリ。。。

昨日は昨日で、円高株安に、痴呆症状を呈するがごとき、民主党内閣の余りのアホさ加減に呆れていたが、こう、暑くて息苦しいもんだから、余計に、この連中の幼稚さに、カリカリするんだろうな。

こりゃあ、暴動でも起きるんじゃないかい? いやいや、起きたって、ちっとも不思議じゃないよねえ。

あっちでもこっちでも、大の大人のすることかって思うことばかりが現実に起きているんだから。。。

ああ〜、なんなんだあ? 今の世の中は?



posted by flyhigh28 at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

「基地経済」からの離陸(上)普天間問題、「怒り」の真実

今日読んだNBONLINE『「基地経済」からの離陸(上)普天間問題、「怒り」の真実』は、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う内容だった。これを読んで、それでもまだ、普天間問題の民主党の決着はやむをえないと思うのなら、それは、”ウチナンチューの驕り”と言えないか。
特に、今回の菅総理の解決方法には、「アメを与えれば収まるという国家の思い」上がり、”札束で頬をひっぱたく”奢れる者の姿が透けて見えるのではないか。

記事の中から、いくつかのフレーズを紹介したい。(赤字、太字、◆は、ブログ主N修飾)


◆巨額のカネが投じられても、地元経済は上向かなかった。松浦氏はこうした「基地経済」への依存に危機感を抱き、辺野古移設反対の運動に加わってきた。
「負の遺産をさらに増やせば、逆に沖縄を潰してしまう」

◆ 「もう、安易な補助金頼みはやめた方がいい」
 松浦氏は、同じことを繰り返しながら、静かに地元が蝕まれていく循環を止めたいと思っている。
 そんな思いは静かに広まっている。事実、地元住民から、稲嶺市長の判断を非難する声はわき上がっていない。「箱モノ行政」が、もはや地元を潤す振興策にならない現実を、県民は思い知らされてきている。

◆平成の琉球処分

 沖縄振興開発計画。1972年に沖縄が本土復帰を果たすと、政府は経済復興に向けた巨額の補助金制度を創設した。住民の4分の1が犠牲となった沖縄戦への補償と、広大な米軍基地を引き受ける見返りだった。

 だが、振興計画に記された10年間が終わっても、沖縄経済は低空飛行を続けていた。そして、10年ごとに改訂しながら繰り延べを続けてきた。現在は第4 次振興計画の終盤にさしかかり、2012年には終了することになる。

 さらに第5次振興計画に突入するのか――。

 4月23日、県庁は「新たな振興計画が必要」という認識を示したが、地元経済界は沈黙を続けている。

 そこには、国家が示す「アメとムチ」の構図にいつまでとらわれ続けるのか、という沖縄の葛藤がある。

 普天間移設問題でも、「アメを与えれば収まる」という国家の思いが透けて見える。「最低でも県外」のはずが、結果的に沖縄本島と鹿児島県徳之島という、東京から遠く離れた南の島々に押しつけて問題の決着を図る。

◆ 「平成の琉球処分

 沖縄では、一連の政府の判断を、そう表現する。

 たとえ一部を徳之島に移しても、そこはかつて琉球王国に属していた土地だ。しかも、戦後には米軍政下に置かれ、本土に復帰したのは1953年のことだった。

 北緯29度以南は、琉球文化を色濃く残す土地。だから、政府は「捨て石」として使いやすいのではないか。かつて廃藩置県で、強引に国家に組み込んだ「琉球処分」と同じ発想が、平成の時代にまかり通っている。沖縄県民は、そう感じ始めている。

 「アメさえ与えれば、最後は受け入れる」。そうした安易な懐柔策は、もはや通用しない。

 「米軍基地がなくなった方が、経済効果が高い」(照屋寛徳・衆議院議員)

 昨年の衆議員選挙は「革新候補」が圧勝し、沖縄県選出の国会議員は、「基地反対」でまとまっている。それは、大部分の県民の意思を表している。

 「米軍跡地の開発が成功したことによって、基地撤退後の不安が薄らいでいる」(久高豊・りゅうぎん総合研究所取締役調査研究部長)

posted by flyhigh28 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

マルクス主義は北極星

9月半ばに病に倒れて、何も書けなかったが、いま病床からやっと書けるようになった。
つらつらと読んではいたが、記録しておけなかったものの一つに、
「『理想』の株価が暴落、閉塞感の中で北極星は輝く 資本主義の中で生き抜くためのツールとして 池上彰×的場昭弘【後編】」http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090916/204899/?P=1
がある。

最後の最後に、次のような対話で結んでいるが、けだし、インパクト十分である。世の多くの人に関心を持っていただきたいと思う。

マルクスは目的地ではなく、迷わないための「北極星」

的場 中世の封建社会から資本主義社会に変わるのだって、1000年くらいはかかっています。5年や10年で資本主義が変わるとかそういう話じゃない。だから『資本論』をはじめマルクスの本を、焦って読んでも仕方がない。マルクスは近代市民社会全体を疑ったのだから、読む側も長いモノサシを持つ必要があるんですよ。

池上 世の中は弱肉強食の資本主義なんだ、社会主義というのは昔、失敗して消えてなくなったんだというパラダイムを、現代人はまったく疑いません。

 それを前提に生きてきたときに、世界恐慌が起きて、克服したと思ったはずの貧困が社会問題化し、「どうも何かおかしいんじゃないか」と不安になる。でも何がおかしいか分からない。そこで冷静に自分の立ち位置を確認するためのツールが実はマルクスなんだろう。そう提起したいんですよね。

 今の社会を重層的に見るというかな。外側から内側を見る、中にいたものを外から見ることができるんじゃないか。そこで自分の生き方もまた違って見えてくる。

 そのときに、この世の中はおかしいんだよと、昔から指摘していたマルクスというツールがあった。今はそれを再発見する時期だと思います。

的場 そうです。マルクスの著作は、そこにたどり着くためのものと考えるより、理想を忘れないためのもの。いわば「北極星」なんですよね。

posted by flyhigh28 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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